地場の木で建てる家

霊峰戸隠山との出会い

現代の科学ですら解析が困難な世界に誇る日本建築の奥深さ。
私達の国、日本がこんなにもすばらしい伝統文化を持っていることを、知れば知るほど強く憧れると同時に、この日本の環境の豊かさに、長野県北信地域に住む私は改めて気付き、「北信の家を地元の木で造りたい!」と思うようになりました。

そこで私は、自分の大好きな山、神話の世界の神々が宿り、数多くの伝説のある戸隠山に向かいました。

立派な杉の木がまっすぐに天に向かって伸びています。そばには貴重な栗の木、目をほかに向けるとカラマツ林。木々たちが圧倒的な存在感で私たちを取り囲んでくれる。一度足を踏み入れると、ずっとその場にいたくなる不思議な安心感。

私たちが生まれたころに芽を出した木、ずっと昔から生き続けている木。

人と人の出会いはよく聞くけれど、人と木の出会いもあるものです。この木で私たちの住む家をつくろう。ここから始め、そして伝えていこうと、そう心に決めました。

伝統構法をつくる上で欠かせない戸隠山の木

人の身体が、生まれ育った場所に適合するように、木も、地元の木を使うことが、最も自然で、最適な使い方だと思います。

地元の木を使う事で、自分たちの身近な山が、元気を維持することができます。山の活性化は、川・海・空気の浄化につながります。

身のまわりの自然が豊かになれば、人間の暮らしもいっしょに豊かになり、豊かな自然を、子孫に残すことができます。

信州は、朝晩の寒暖の差が大きい上に、戸隠山の冬は積雪が3mを超える事も、めずらしくありません。その厳しい風雪に耐え、成長した木々は、北信濃の家づくりに最適な木へと成長します。

また、故郷の木による家づくりは、私たちの暮らしに、優しく温もりのある生活を、いつまでも、住むひとに与え続けてくれると、私たちはそう信じ、この木と共に、より良い家づくりに、取り組んでいきたいと思います。

戸隠山で育まれた木々たち。

製材風景

製材から施工までの流れ

製材直後の木材

1年間にもおよぶ天然乾燥

製材後、小坂建設資材置き場で天然乾燥をします。ここで約1年間程寝かせます。

材木の品質管理

小坂建設にて、材木の品質管理を行います。右の写真が、ヤング係数の測定風景で、左の写真は、材木の含水率をチェックしている風景です。

墨つけ・刻み・進み加工

墨付け、刻みと進み加工が終わったばかりの部材です。柱のほぞは取りつく箇所で、長さ・形状が異なります。

通し貫(とおしぬき)と
雇い鯱知(やといしゃち)

施工[1]

ここから現場作業に移ります。まず、柱を建て、土台を通し、幕板で足固めを行います。この土台と幕板は、ダホで縫ってあることも、伝統構法の特徴です。

施工[2]

差し鴨居を通します。これも構造耐力上、大事な役割を果たします。伝統構法では、すべての部材は構造耐力上の役割を果たすと同時に、意匠、機能においてもその目的を果たす部材となります。

施工[3]

土台の上に幕板をダホでつなぎ、さらにダホで通し貫をつなげます。この作業によって、地震時にもっとも負担が掛かる柱脚の足固めを行うと同時に、水平方向のずれをダホの抵抗で抑える事ができます。

施工[4]

最初の柱を建ててからここに至るまで、すでに3日間が経過しています。

施工[5]

地震時においては、この通し貫を伝わり、すべての柱に力を均一に分散させ、吸収していきます。遊ぶ柱は一本もありません。文字通り、建物全体でエネルギーを受け流していきます。

施工[6]

上梁、下梁を渡り顎で組んでいきます。ここまで釘は一本も使っていません。最初の柱を建ててから、すでに10日間が過ぎていました。

施工[7]

建て方が完了しました。

施工[8]

小屋組み。釘、金物は一切使っていません。きつすぎてもダメ、ゆるくてもダメ。繊細な匠の技は、糸一本の墨糸の内側と外側を、見事にのこぎりで挽きわけ、すばらしい技術が展開されていきます。

法隆寺を作り守ってきたのは、こうして受け継がれてきた木を生かす技です。
この技は、数値では表せません。技は人間の手から手に引き継がれてきた「手の記憶」なのです。そしてこの手の記憶の中に、千三百年に渡り引き継がれてきた知恵が含まれているのです。

施工[9]

下木の上に渡り顎で上木を組み、さらにその上に上木を組みます。小径木を組み合わせて大きなスパンを作る技法です。

施工[10]

桁固めと重ね梁。

小坂建設の家づくり

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