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伝統構法と薪ストーブ

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小坂建設について

何を守り、何をすれば豊かな未来につながるのか。

家に関する法律がおかしくなり始めたのは、ここ20~30年くらいだと感じています。
それまで、住宅に使われる木材はすべて国産の木材がつかわれ、林業を通して山の整備、良質な木材の管理が担保され、材木店で、製材、保管。それが最終的に大工、工務店の加工場に運び込まれていました。
山村はあちこちに存在し、山々は手入れが常に行き届き、自然、人、経済が循環していました。

ようするにSDGsなどそもそも成立していました。しかも現在のベニヤ住宅が30年も持たないのに比べ、本来の日本の木造建築の耐用年数は軽く100年を超えます。
私が20代のころはよく棟梁と材木店を訪れては、柱番付けといって、柱一本一本をその家のどの場所に、どの向きに使うかを吟味したものです。
施主からすれば、こうした仕事は、まったく知らないところで行われているわけですが、作り手からしたら、大事な仕事だったわけです。
木材の関税が撤廃されたことから、木材は外国材にとってかわられ、小さな林業、材木店はあっという間に経営が苦しくなり、いい木を見立てて出してくれていた小さな材木店は軒並み店じまいに追い込まれていきました。
日本は林業という産業を自ら手放し、結果、山村から人がいなくなり、山林の荒廃がすすみ、今やあちこちで災害が起きる状態です。

それだけではありません。木材を海外から輸入するにあたり、単位までも尺貫法からm単位に変えられていきました。
当時時若かった私は、ずいぶん材木店の営業マンや社長さん相手に、これは古いとか新しいとかの問題じゃない。
日本がお前らの材木を買ってやってるんでしょ。だったら単位も寸法も日本市場に合わせて売ってこいと、なぜ業界で戦わないのかと憤っていました。
なぜこうも日本は「効率化」「自由経済」の言葉の下に、自分たちの文化や価値観を簡単に手放すことができるのでしょうか?

腕のいい大工は必ず尺単位を使います。なぜか。ただ受け継がれてきたからです。
尺貫法は木造建築の基準単位であり続けることによってのみ、過去の大工たちと建築を通しての会話が可能になります。
基準単位の置き換えは、母国語を手放すことと同じです。

「ただ受け継がれてきたもの」そこに明確な理屈や定義などありません。
ないからこそ守る責任があります。
自分達にとってさほど大きな意味はないという、その場限りの判断で捨てることは浅はかでおろかです。
もし、未来にその意味の重要性に気が付いた子孫が現れた時、今の私たちをどうみるでしょうか。
山の神様、木の神様、人の心、言い伝えれてきた教え、こういった目に見えない世界を無視し、数字と理屈だけで物事を判断する。
理屈や理論などは木造建築の世界のほんの一部を証明するだけに過ぎない。
今の世の中は人間の小さな頭の中の理屈に溺れ、こざかしい、おもいあがった人間が多すぎます。

次に起こった変化が耐震に関する法律の書き換えです。
ハウスメーカーに対抗して、工務店の営業でよく語られたのが、ハウスメーカーの家は建てた後の増改築ができない。
木造住宅はあとで建て増したり増改築が可能である。 だから住宅は木造で建てた方がよい。

これに対して、政府与党と大手ビルダーによる法律の書き換えにより、住宅の増改築の際には、つなぎあわせた建物全体の耐力が基準をみたさないと許可しないとなり、木造住宅の増改築工事ができなくなりました。
これにより、大工の技術の衰退が始まります。増改築というのは、多少なりとも狂いの生じた建物に対し、微調整しながら取り付けていくという、頭と技術、経験、これら全てが高いレベルで要求される格好の教材です。
それをいとも簡単に禁止とは、、、。あと20年もすれば、こうした増改築仕事のできる大工も世の中からいなくなるでしょう。

これ以降ハウスメーカーは型式認定で建築許可の簡素化がなされ、反対に工務店の家づくりがどんどん申請において複雑で面倒なものになっていきます。
シックハウス問題が起きれば、24時間換気の設置義務を即座に成立させました。自然素材の使用を促進、保護する法律は一切作られず、申請の際には、計算書の添付まで義務付けられました。
しかも現在ほぼすべての建材にF☆☆☆☆が使われ、シックハウスの問題はすでに解決できており、換気扇の設置の必要性はありません。
現在は省エネだの気密だのを国は要求しています。だったらなおのこと換気扇の設置義務は廃止すべきでしょう。
そんなに換気扇を売りたいのか。大手資本のいうことばかりになびき、職人、自然素材の建築文化を軽んじる与党には本当にうんざりです。

増築の実質的な禁止、24時間換気の設置に関する無駄な義務、あまりにも中小工務店をなめた政策ばかりする政府に対して、全国の中小企業の経営者が怒り、その結果、政権交代が起きました。

しかし交代した民主党与党のあまりにもひどい国家運営のため、再び政権は元に戻ってしまいます。
あとで聞き及んだ話ですが、建築行政の世界では当時、民主党の国土交通大臣が活躍し、ハウスメーカー系の人たちを住宅政策の検討機関から追い出し、石場建て伝統構法をだれもができるようになる制度の確立寸前までいったとのことでした。
企業ではなく、職人主体の時代まであと少しだったのに残念でした。
再び自民党が与党になり、政策機関には、再びメーカー系に独占され、今度は省エネ政策を始めました。
省エネという政策については、また改めて触れたいと思います。

令和を迎え、与党とか野党とか関係なく、個人が各々の判断基準、価値基準により立ち上がらなければ、何も守れない時代となりました。

先人の知恵と技術に敬意をもって向き合い、より知ろうとする努力の中で、木を扱うこと。
その心がけ一つ手にするだけで、本来日本の大工が行うべき正しい木組みが見えるようになり、目の前で起きている事が、本当かウソなのかが見えてくる。
本当かウソかは、大災害、酷暑等の究極の状況において勝負がつく。本物はただ無言のうちに存在し続け、ウソは後から想定外などと言い訳を始める。
自国の文化やそれを支える技術者を守るどころか、手放す国に幸せな未来があるとは思えません。今の住宅政策は本質的に誤った価値基準のもとに進められている。

又、コロナ禍で、いかにグローバル化が危うく、産業の自給自足が大事かわかったはずです。
大企業で経済を回すことより、小売り店を多数点在させることの方が効率は劣っても安定した強い社会を作ることができる。
食文化も同じ。スーパーではなく、魚は魚屋、野菜は八百屋といった小売店で社会を網羅する。
職人のみならず、林業、農業、漁業等、第一次産業に従事する「人」を主体に経済を構築する社会の方がはるかに安全で持続可能な社会になる。
インターネットでものを買う事自体は否定するつもりはありませんが、本は本屋で買い、服は服屋で買う社会もきちんと残す必要があります。

一方に偏り過ぎることによって、どんどん自分たちが主体となる権利を、他人に渡している大きな流れに、待ったをかける意志を持ち続ける必要があります。文化を守るということは、人を守るという事と同じで、結局は自分を守る事に行き着きます。
日本建築文化の基準である、尺貫法を堅持することによって、古民家や社寺建築から、過去の大工たちとの会話ができるようになり、縄文時代から令和の現代まで、先人の知恵が結集された強靭な一本の糸でつながる事ができます。正しい道を教えてくれる糸電話。
この糸こそ次の時代につなげていくべき糸であると私は思います。

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