伝統構法ブログ

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小坂建設株式会社

文化価値としての建築

日付 題名 分類

津波にも、地震にも耐えた民家

文化価値としての建築

東日本大震災。マグニチュード9.0。
いくら伝統構法とはいえ、地震に耐えることは出来ても、津波にはどうすることもできないと、自分自身、そう思いこんでいました。
しかし、土壁で出来た古民家は津波に流されることなく、立派に残っていると耳にしました。それも一件や、二件といった数ではなくです。
岩手県陸前高田市には、そうした古民家がいくつもあることを知り、この目で確認する事にしました。

津波にも耐える家の理屈は、こうです。
今の家の外壁は、基準法や、保険の関係上、防水性能は、絶対満たさなければなりません。こうした家は、水の抵抗を外壁面全てが受けることになります。
これに対し、土壁は、水を吸収し、泥となって流れて行くために水圧を逃がすことが出来ます。
例えるなら、金魚すくいの構造と一緒で、紙が水を吸収して破れてくれるために骨組みが残るという仕組みです。

(伝統木構造の会秋山先生撮影)
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岩手県のこの地方は、古くから気仙大工と言われる大工の伝統文化があり、全て、平屋の入母屋造りです。

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現代の基準法による家は、水圧をまともに受けて、一件足りとも残らず流される中、気仙大工の作った古民家は、地震にも耐え、津波にも流されず、そんな民家が幾つも幾つも当たり前のように残っていました。長野の栄村で見た光景と全く同じ結果(築300年の古民家が残り、築三年や、半年の家が主要な柱の損壊)がそこにありました。

気仙大工の造る伝統建築は、小屋組において小屋束を用いず、梁の組み合わせのみで組みあげる合掌構造が特徴です。入母屋造りを出し桁で組む木組みは、本当にすばらしいの一言です。

(実際に残っている民家)
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日付 題名 分類

玄宮楽々園

文化価値としての建築

文化9年(1812年) 今からおよそ200年前の建物。
もともとは、江戸時代初期、延宝5(1677)年、彦根藩 四代藩主 井伊 直興により建立されたもの。
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大書院、地震の間、雷の間、楽々の間など、工夫を凝らした部屋が残っています。

ちなみ十五代藩主は、桜田門外で暗殺された幕末の大老、井伊直弼。

明治維新後、導入された西洋の建築手法にのっとったものが、大きな震災に合う度に改正を繰り返す、現代の住宅建築の基準法の基礎となっています。幕末の志士たちは、今の時代をなんと見ているのでしょうか。

明治以前には、大きな震災を経てなお、今もりっぱに建ちづづけている建物がたーくさんあり、それらは、僕の大切な教科書でもあります。

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知恵と工夫の設計~伝統建築に学ぶ~ から

土台を敷き、柱頭と柱脚を板状の足固めと、桁固めで組んだ構造。
最初見たとき、このような繊細な方法を、200年も前の大工さんは、やっていたのかと驚きました。

足固めと桁固めで、柱をS字にしならせる。この基本を、このような細い部材で完成させたものは、初めて見ました。差し鴨居も細く、きわめて繊細なバランス感覚で成立させている建物といえます。

タイムマシンがあったらぜひ一度、この棟梁にお会いして、お話をお聞きしてみたいものです。

追記

上記の柱と土台の接合関係を計算してみました。
柱 4.5分角  より IC=13.5×13.5の3乗÷12=2767.92...㎝の4乗
足固め 3寸5分×1尺1寸 より IB=10.5×33.3の3乗÷12=32310.28...㎝の4乗
よって IB=11.67IC  
大丈夫なわけだ。